日本茶の秘話
その1
僧侶達が中国から持ち帰ったお茶は、禅宗と深い関わりがあり、薬の効能を主にして飲まれていたそうです。
 それも上流階級の貴族や僧侶のみで庶民の口には入りませんでした。14世紀を過ぎた頃、新しい嗜好飲料として、武士、庶民の間に普及してきました。

茶寄合(ちゃよりあい)という新しい遊びも流行しました。これは本来、栂尾茶(とがのお)、又は宇治茶とその他のお茶を飲み当てるゲームです。
 闘茶(とうちゃ)とか茶勝負といって華やかな遊びになったそうです。

 又、農村では広く茶園が見られるようになり、都では東寺や祇園の門前に茶売りの店がみられ「一服一銭」で茶を振舞っていたようです。
 茶店の始まりですね。

※現在、闘茶会等は掛川市でも実施されています。
  色、香、芽合い等吟味して産地を当てます。

・栂尾茶(とがのおちゃ)
京都西北部山地にあります。
栄西禅師が宗より茶種を持ち帰り、明恵上人(みょうけいしょうにん)に贈った、これを栂尾の深瀬三本木に植え、宇治などの地に広く植えたとされています。
茶祖と呼ばれる明恵上人が仏道修行者となり、世界文化遺産にも登録された栂尾高山寺に開山した寺があります。

・静岡茶
明治二年、明治維新で職を失った旗本達が駿河に引退する徳川慶喜に従い牧ノ原台地に住むようになりました。そこで、生きる為に武家の商法ならぬ農法で、悪戦苦闘しながらの栽培であったようです。刀を捨て、鍬を手にした武士達の作業の様子に思いを馳せると大変な苦悩の日々で有ったろうと感じております。
今では日本随一の良質茶生産量を誇っております。
<<第2回に戻る

閉じる